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米大リーグ・ワールドシリーズでNYヤンキースが見事に優勝しました。その立役者となったのが日本人で初のMVPとなった松井秀喜選手。
星稜高等学校時代、夏の甲子園。この試合で松井が受けた5打席連続敬遠は、高野連が急遽記者会見を開くなど、社会問題にまで発展した。明徳義塾の馬淵史郎監督は試合後、『(星稜の練習を見て)高校生の中に一人だけプロの選手が混じっていた。』とまで言わせた。
そして読売ジャイアンツへ入団。ファンの度肝を抜く本当のスラッガーへと成長する。川上哲治、青田昇等の野球評論家は「王貞治より上」と絶賛するほどであった。しかし、松井自信の気持ちに変化が現れる。それはメジャーリーグへの気持ち。ジャイアンツの不動の4番という地位まで上り詰めた日本屈指のスラッガーは、とうとう、新たな挑戦をする。
ニューヨーク・ヤンキース移籍。悩みに悩んだ末、NYヤンキースへ移籍した松井秀喜。ヤンキースでの公式戦開幕試合。トロント・ブルージェイズ戦に5番レフトで先発出場した。初回にメジャーを代表する右腕のロイ・ハラデイ投手からレフト前へのタイムリーヒットを放ち、初打席・初安打・初打点を記録。移籍後すぐに頭角を現し始める。
その年の7月に行われたMLBオールスターゲームにファン投票のア・リーグ外野手部門で三位に入り初出場を果たした。その後、世界屈指のスラッガーへと成長していった松井を悲劇が襲ってしまう。左手首(橈骨)骨折。度重なる怪我。出場できない日々が続く中、ヤンキースの14年連続プレーオフ進出の可能性が消滅。
2008年シーズン終了後に、ニューヨーク・デイリーニューズが実施したアンケートでは、47%が松井の放出に賛成という結果になった。11月にはシアトル・マリナーズとの間でトレード話が持ち上がった。
そして2009年。両膝に違和感を覚えながらも指名打者として出場。メジャー移籍7年目にしてチームの9年ぶりの世界一に貢献。13打数8安打3本塁打8打点で日本人選手初のワールドシリーズMVPに選出された。両膝に不安を抱えながら過ごした2009年のシーズンを最高の形で締めくくった。また、日本シリーズMVPとワールドシリーズMVPを共に受賞した初の選手となった。地元、石川県では、一斉に祝ムードとなった。
故郷・石川でも松井フィーバー
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091106-00000028-sph-base
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